信州上田 松尾町商店街

松尾町から上田を発信する 松尾町から上田を発信する

上田史探訪-真田の郷「角間」

文=若林幸正/ドラいもん

「おっしゃんどこだい」
「角間の沢だい」
「仕事はなんだい」
「炭焼きだい」
「どおりでお顔が真っ黒だ」

と地域の人にうたい親しまれた、小さな集落が真田町の山村にあります。旧丸子電鉄の終着駅真田駅より東へ約2km、神川の支流角間川を南にし、角間峠の入口角間渓谷を背にした場所にある角間郷です。真田といえば「日本一の兵」とうたわれた真田一族ですが、この真田という姓は、天文15年丙午2月幸隆信州小県郡松尾の城に帰城した際に、海野から真田の郷の地名をとり真田弾正忠幸隆に改名したと伝えられているように真田という地名と深い繋がりがあります。中でも「角間」は真田の郷だといわれ、多くの人を魅了しています。今回は、真田の郷「角間」を取材して来ました。


鬼ヶ城を望む
安知羅様

さっそく、真田の郷「角間」に行ってみましょう。角間渓谷入口北側に位置するのが松尾古城です。険しいやせ尾根の先端に石塁や堀切りなどが残る真田氏最初の城と伝えられる城跡です。少し下ったところにあるのが、安智羅明神(あんちゅらみょうじん)。角間集落の入口松尾古城の南下にある小さな祠です。本尊の安智羅様は幸村の像として広く伝わっていますが、作成銘年代が1531年とされているために幸隆の像だと思われます。ちなみに、一度盗まれたことがあるそうです。さらに下がると、阿弥陀堂があり、松尾山常福院があったとされる場所があります。

真田一族の菩提所は、真田幸隆の時代に長谷寺へ移され、1622年に上田藩主の真田信之の国替にともなって松代の長国寺に移されていきます。常福院は、幸隆以前の菩提所であったと伝わっています。阿弥陀堂は、この常福院の一角にあったもので、岩屋観音像も、本来は常福院にあったものと伝えられています。ちなみに、小松姫で有名な芳泉寺は、その昔は常福寺という名でした。上田藩主が真田信之から仙石忠政に代わり、修築の際に小諸の菩提所であった宝仙寺をここに移したときに現在の名に改名されたといわれています。

1971年の発掘調査で、常福院の境内の一角であったとされる場所から日向畑(ひなたばた)遺跡が発掘されました。多くの宝筐院塔、五輪塔といった墳墓跡とともに室町期から戦国期にかけて埋葬されたとみられる火葬骨が発見され、幸隆以前の一族の墓があったのではないかと推測されています。また、出土した際に、多くの石塔が破損していた上に、石がバラバラの状態であったため何物かが墓を壊したのではないかと考えられています。

さて、歴史のミステリーはまた今度にして、角間渓谷に向いましょう。角間渓谷は、猿飛佐助が修行を積んだといわれる切り立つ岩壁があったり、鬼や天狗といった様々な民話の題材となった不思議な世界を楽しめる場所です。鬼ヶ城、天狗の欄干、鬼の門、ネンボウ岩、岩屋観音洞窟、シシの牢、といった天然記念物に指定された奇岩が多く、その美しい渓谷美は紅葉や新緑にはいつにもまして楽しむことができます。角間渓谷の入り口にある角間温泉は、真田の隠し湯といわれる名湯です。「百聞は一見にしかず」さっそく角間郷へ行ってみて下さい。必ず、あなたにしか見れない景色があるはずです。


松尾古城本丸跡

岩屋観音堂
日向畑遺跡
シシの牢と角間温泉岩屋館

サマーウォーズの郷「上田」

この夏公開されたサマーウォーズは、皆さん御承知だと存じますが上田が舞台です。
舞台が上田ということなので、映画の中には上田が溢れています。主人公が新幹線「あさま」で上田に向うことから始まり、駅のホームには「うえだ」の文字。第39回「上田わっしょい」の看板。そして、丸窓電車で「角間温泉」行きに乗ります。現実には「別所温泉」行きですが、物語の都合上、真田方面へ向かいます。さらにバスに乗り換え陣内家へ。バス停の表示は「伊勢山」で、真田氏の城「砥石城」「米山城」への登り口です。到着した陣内家の屋敷では上田城大手門をモチーフにした東門をくぐり、長い石段を登り、更に中門を通って玄関までたどり着きます。
美術設定のラフ( 下絵) を見ると緑側から見える山の左手に烏帽子岳、正面に小牧山と書き込みがあり、市街地の夜景が望めることからしても、陣内家の屋敷は上田市街の北東部で縁側は南向きとなることがわかります。

御屋敷の床の間に鎮座する鎧は、真田昌幸の甲冑であり、御先祖様が二度にわたり圧倒的な兵力の徳川軍をわずかな手勢で撃退したことを誇りにしている設定も、知略に富み、六文銭を旗印に、猛勇果敢に戦に挑んだ真田氏がモデルであることは容易に想像できるでしょう。

とにもかくにも、私達の暮らす上田を映画の中にたくさん見ることは実にうれしく思いますし、細田監督をはじめ関係者の方々に心から感謝申し上げます。また、この映画を見て、まだ行ったことのない上田があり、見たことのない景色があるということを再認識させていただきました。一歩踏み出すには、少々勇気が必要ですが、勇気を出して扉を開けてみましょう。きっと素敵な出会いや価値ある世界を発見できると思います。もちろん、映画を観てない人は見て下さいね(笑)

街って何…?

毎年、うえだ城下町映画祭という催しが行われています。第1回映画祭が1997年12月に行われ、その後、毎年多くのファンを魅了している企画です。さて、この映画祭のきっかけが商店街の活動から生まれたことを御存じですか?

1995年上田商業21世紀会で行ったシネマ&フォーラム’95その2年後に行ったシネマ&フォーラム’97がきっかけで、同年12月に第1回映画祭が動き出しました。上田商業21世紀会とは、現在、原町・海野町・松尾町・天神町の真田坂通り沿いにある4町の集まりです。商店街活動が地域の原動力になれたことをうれしく思い、フリーペーパーを含め多くの活動が今後このように発展していけることを願って、今後も一歩づつ踏み出していきたいと思います。

きっかけは別所線

喫茶店は下北沢駅の北口を出て直ぐの地下にあり、比較的広いスペースが、気を使わずに長時間居座るのに適していた。

山中が斉藤との打ち合わせにその店を指定した理由は他にもあった。そのひとつが、ケータイも繋がらない地下にあることで、都会の喧騒を物理的に遮断できること。そこに僅かながら生まれる、静かで手触りの良い時間が欲しかった。

石器時代から脈々と続いている上田の歴史。確かな記録も無く、今となっては神話の世界になってしまった古代という時代。現代の忙しい毎日を生きる私たちにとって、千年二千年前の先人たちはあまりに遠い存在です。しかし、今に残った神々の遺産に思いを馳せれば、神代の時代に生きた人たちの息遣いさえ聞こえて来るような無限の想像を楽しむことができます。

今回は、古代史におけるロマンの一端を次号と二回に分け、小説形式にてお送りいたします。日常を遠く離れ、いにしえの上田を感じていただけると幸いです。

みすゞかるヤマト王国(上)

山崎憲一

もうひとつの理由に、小田急線の複複線化に伴う大規模な工事によって、変わり果ててしまうであろう、下北沢の街そのものにもあった。

上田市のローカル電車「別所線」の存続に一市民として奔走した山中にとって、他人事ではすまない思いがこの街にはある。

そもそもこの物語に映画化の話が持ち上がったのも、元を正せば、地方紙に載った山中の記事が、そのまま上田市の公式サイト「別所線に乗ろう」にアップされ、それを、鉄ヲタでもあるフリーの映画プロデューサー斉藤が発見したことに始まる。

斉藤の業界での異名は「左利きの笑顔」と言い。その由来は彼の風貌に因るだけではなく、映画制作にあたっての独特なスタイルにもあった。

山中のテーブルには、すでに珈琲が置かれていた。

「初めまして斉藤です。山中さんですね?直ぐに分かりましたよ」
「ボクの方も直ぐに分かりました『左利きの笑顔』でね」

「よくご存知で、そんなことまで」
「由美子さんに聞きました。ところで、今日、由美子さんは?」

「いや、由美子さんって、そちらの社員じゃないの?オレはてっきり」
「いやいやとんでもない、うちは会社と言っても名ばかりで、デザイナーも、キャメラマンも仕事に応じて契約するだけのケチな会社で」

「じゃーなに?二人とも由美子て言う女の実体を知らないってこと?」
「そうみたいですねボクも実際には会ったことがない」

「お待たせいたしました」

テーブルに、斉藤が入店と同時に注文した珈琲と金属製のミルクピッチャー、そして、お絞りとグラス、おきまりのアイテムが揃った。

「おタバコはお吸いになりますか?」

タバコをやらない山中だが、かつての喫茶店には、おきまりアイテムの仲間に灰皿があった頃を、ふと懐かしく思った。

「どうしました?」
「いや、昔は『ミルクお入れしますか?』てーのがあって…」

「ミルク?」
「そう、ミルク。まあ、そんな話より、本題に入りましょう。ここにシノプシス(注1)を書いてきたので、まずはこれを読んでもらえますか」

「OK。でもその前に、灰皿もらえますか?」

すでに、斉藤の指にはタバコが挟まれていた。

「それじゃあ、シノプシスを読む前に、上田と『千と千尋の神隠し』それと、宮崎駿監督との関わりを、改めて聴かせて欲しいね、分かり易く」

山中は別のファイルを取り出した。

「その辺のこと、大体はこれにまとめてあるけど、極最近では上田が舞台の『サマーウォーズ』かな」「だよね!。オレも驚いたよ。冒頭のシーン、別所線の車内が、千尋が乗る電車にそっくりだった。窓のサイズ、シートの色まで。ただ、吊革の高さがいくぶん違うのかな?それともう一つ『千と千尋の神隠し』の場合、窓の外は海のような湖だよね」
「いや、そう思うのは間違いなんだな。あの湖、魔法が解けた後、現実の風景が広がるでしょう、あれこそ正に別所線が走る塩田平そのものなのです。心にある古里を絵にしたら、あんな風だと思いますよ」

「なるほどね。じゃあ早速、そのファイルみせて頂きますか」

● 映画「千と千尋の神隠し」の後半、湖を行く電車のシーンは、水を張り詰めた水田が広がる塩田平を走る別所線そのものである。しかも、その電車は別所温泉へとつながっている。其処は、千尋が迷い込む別の場所「別所」

● 塩田平に伝わる民話「龍の子太郎(注2)=小泉小太郎伝説」と、美しい少年「ハク」との符合。その「龍の子太郎」が生まれたとされる川、その名も産川。「産川」は、「鞍が淵」辺りを源流として、途中塩田平を別所線と平行して流れ、小泉という地籍で千曲川に流れ込む。「龍の子太郎」の作者、松谷みよ子さんには、二〇〇一年に東京のご自宅でお会いして、「小泉小太郎」が「龍の子太郎」の原形であることを直接聞いた。二〇〇四年の3月、信濃毎日新聞の特集「名作の舞台」にも、松谷さん本人のコメントも含め、小泉小太郎が生まれたとされる「鞍が淵」のことが、全面を割いて詳しく載っていた。

産川上流鞍が淵
産川下流

● 釜爺の台詞、及び、電車のシーンで流れる曲名が「シックスステーション」(六番目の駅)である。別所線で別所温泉駅から六番目の駅とは「下の郷」のことであり、そこには生島足島神社がある。生島足島神社の由緒書きによれば生島は万物を育成させる神様、足島は万物に満足を与える神様、正に映画に登場する「湯婆婆(ゆばーば)」と「銭婆(ぜにーば)」だ。これも見事に符合する。

●以前、宮崎駿監督の元で仕事をしたこともある上田市在住のアニメーターの証言「宮崎監督は上田に何度か訪れ『生島足島神社には、民話を越える話があるんだよ』と言っていた」

●美しい少年ハクは、自分の名前を思い起こす。ハクの本名は「ニギハヤミ・コハクヌシ」そして幼い頃ハクが遊んでいた川が「コハク川」だった。千尋も「コハク川」でハクに助けられたことを思い出す。で、「コハク川」を漢字に置き換えると、「小白川」となる。更にこの「小白川」を分析すると、「小」「白」「川」。そして、「川を水に変化させ」これを再度合体させると「小泉」。小泉小太郎の「小泉」となる。

そう!『コハクヌシ』には『小・白・川の主』すなわち『小泉の王』の文字が隠されている。やはり「ハク」の正体は小泉小太郎に間違いない。

斉藤はプレスの利いたワイシャツの襟に顎を埋め、不満げに呟いた。
「確かに、これを読めば『千と千尋の神隠し』は、上田・塩田平が舞台だということは頷けるよね。でも、今いち弱いんだよな、なにかさー、決定打が欲しいっていう感じ」

「たぶん、左利きの笑顔はそう言うと思って、物証を持って来ましたよ、物証を。今年の初め、あるヒントがあって、まだ雪残る富士見町の井戸尻遺跡に行ってみたんです。そこで、偶然みつけたのがこれです。これがその実物」

山中が斉藤に差し出した本のタイトルは「蘇る高原の縄文王国」二〇〇二年に井戸尻考古館において開催された講演会・座談会を集録したものだった。

「その、百十五ページをみてください。そこに宮崎監督の講演が記録されているでしょう」


ぼくは、上田という土地は何度も行くんですが、あそこに生島足島神社っていうものすごく古い社があるんです。その御神体というのは土間です。諏訪の神さまも古くて、ミシャグジ(注3)の神というのは人格を持ってないです。建御名方(タケミナカタ)(注4)が諏訪大明神になっていますが、あれは後から来た人です。後からあそこに来て住み着いて、ミシャグジの神と混ざって建御名方神が祭神になってます。

おもしろいことを言った人がいるんです。建御名方は千曲川沿いに逃げてきたんだ、出雲から日本海を追われて。それで生島足島神社の、たぶん土間で、おかゆをご馳走になったんだろうって———。


「ほう、確かに決定打だね、これは。これで宮崎監督が上田・塩田平に興味があることは立証できるよね。

けど、惜しいナー。宮崎監督の講演内容と『千と千尋の神隠し』とが、直接結び着けば、もっとおもしろいのにね」

「あれ?それは話してあるじゃありませんか、何度も。要するにハクの本名『ニギハヤミ・コハクヌシ』が、その鍵です。」

少しの間があって、斉藤は。

「いや、しかし。それは、コハクヌシがイコール小泉小太郎だという話だけでしょう?」

山中は、斉藤の言葉をさえぎる様に。「そう、それはそれでOK。で,さらに謎解きをするには、その『小泉小太郎の正体は何者か?』ですよね。ボクが推理するに、彼の正体は、さっきの本で宮崎監督の講話にもあった、出雲を追われ、上田経由で諏訪の大明神に収まった建御名方ではないか?・・手短に言えばね」

斉藤は、もう一本のタバコに火をつけた。

「それは、ちょっと強引だなー。なんの整合性も無いじゃない」

山中は、説得するが如く続けた。

「まずは、饒速日(ニギハヤヒ)(注5)の『日』を『水』もしくは『巳』に変えてニギハヤミになるでしょう?現に小泉小太郎は大蛇の子として産川で生まれてる」

「おいおい、饒速日って誰だ」

「えっ、忘れちゃったんですか?この事は昨日電話でも話しましたよ」

斉藤は、電話の内容を思い出しながら、山中の瞳に視線を移した。

「ハクの本名『ニギハヤミ・コハクヌシ』のいわゆる名字のニギハヤミは饒速日尊

(ニギハヤヒノミコト)の一族を示していると考えて間違いないと思うのです。そして、饒速日は建御名方の叔父に当たるのです」

「なるほどね、て、言うことは、ハクの本名『ニギハヤミ・コハクヌシ』が意味することとは饒速日の血を継いだ建御名方、つまりは饒速日の一族という訳だ」

「その通りです!出雲を追われ日本海を北に、千曲川を上り、産川との合流地点、上田の小泉地区にたどり着いた建御名方こそ小泉小太郎でしょう」

斉藤にいつもの笑みが戻った。

「さて、小泉小太郎と饒速日、その一族である建御名方がつながったところで、確か今日の話は、その饒速日なる人物を題材にした物語の映画化は可能か?だったよね。少なくても、今の話でオレの勘は感じたね『こいつはイケル』ってね。凄く興味湧いてきた」

山中は、改めてシノプシスを斉藤に手渡した。

「そー来なくっちゃ!これを読んでもらえれば、饒速日がいかなる人物か?果たして、その映画化は可能か?そして、なぜ上田なのか?が分かると思うよ」

斉藤はタバコの火を灰皿でもみ消すと、シノプシスのページをめくった。 (つづく)

生島足島神社
注1

シノプシス=映画のあらすじのこと

注2

小泉小太郎とは、上田市小泉周辺を中心に広く知られている伝説です。大蛇(竜)の母を持つ小太郎が活躍するお話です。

注3

ミシャグジ信仰とは、山の神や水の神などを併せた自然への崇拝から生まれた原始宗教だとされており、少なくとも縄文時代にはその存在が確認されています。長野県下では諏訪地方に多く見られ、一般にミシャグジ神を蛇の姿で表わすことが多いとされています。

注4

健御名方とは、諏訪大社の祭神です。島根の出雲大社の祭神である「大国主(おおくにぬし)」の息子であると、「古事記」に登場します。大国主が、自分が統治している葦原中国(あしはらなかつくに)を天照大神(あまてらすおおみかみ)へと明け渡し、健御名方は諏訪地方へと移住したとされています。なぜ、大国主は天照大神へと葦原中国を明け渡したのか?そもそも葦原中国は、実在のものなのか?実在したとするなら、それは現在のどの地方のことなのか?現在でも諸説があり、確かなことは分かっていません。出雲地方を葦原中国とするのは、その中の一つの説です。

注5

饒速日とは、「古事記」「日本書紀」にする神のことです。古代日本の大豪族である物部氏の祖先とされています。物部氏は、蘇我馬子と聖徳太子に敗北した「丁未の乱(ていびのらん)」以後、衰退の一途をたどることとなります。そのような事情もあったせいなのか、饒速日に関する記録は極端に少なく、現在でもその正体は大きな歴史ミステリーとされています。

注6

古代から近代にいたるまで、水は人々の命の拠り所であり、水源地や河川は信仰の対象でした。水神を蛇(竜)とする例は全国的に非常に多く、その理由として、蛇の長い体が川に似ているからだ、蛇が湿地帯を好むからだ、などの説があります。蛇のことを「巳(み)」とも言いますが、これは「水」と同じ意味だとする説が有力です。

編集後記
「真田坂」15号をお届けいたします。毎号、出来るだろうかとの不安な気持ちもある反面、「次はこんなことも伝えてみたい」などと考えながらスタッフ一同、頑張って居ります。フリーペーパー「真田坂」は、松尾町商店街をより身近に感じて頂きたいだけでなく、「上田地域全体」の魅力を地域以外から訪れた方々にも知って頂きたいという思いも込めて編集しております。多くの方々に読んで頂ける事を幸いに思います。今後とも宜しくお願いいたします。
志摩充彦

発行日:2009 年12 月10 日
●ご意見、ご感想等をお寄せ下さい。
FAX 0268-21-1100
真田坂web:http://sanadazaka.jp
発行責任者:長野県上田市松尾町商店街振興組合
理事長:寺島秀則
「真田坂」担当理事:志摩充彦
スタッフ:矢島嘉豊、佐藤隆平、久保田康之、平林敏夫、増田芳希、飯島新一郎、町田和幸、ドラいもん、店璋院