信州上田 松尾町商店街

松尾町から上田を発信する 松尾町から上田を発信する

流行りモノをチョット使ってみた
巷もすなるChat-GPT というものを

文責・飯島新一郎

ChatGPTをご存知でしょうか。ニュースや新聞などでも頻繁に取り上げられていますのでご存知の方も多いかと思いますが、名前は聞くけど詳しくはよく分からない、と言う方も多いのではないでしょうか。例えば、ChatGPT自身に「Chat-GPTとは何なのか?」という質問に回答させてみましょう。

Chat-GPTは、コンピュータの中で動く「おしゃべりロボット」のようなものです。この「おしゃべりロボット」は、たくさんの本や文書を読んで知識を持っていて、人々が質問すると、それに答えたり、お話ししたりします。例えば、あなたが「りんごのレシピを教えて」と聞くと、Chat-GPTはりんごを使ったレシピを教えてくれます。人がおしゃべりするのと同じように、このロボットも言葉を使って答えます。でも、中には人間がいるわけではなく、コンピュータが自動的に答えを考えてくれるのです。これを可能にする技術を「AI(人工知能)」と言います。人工知能は、人がするような考える作業をコンピュータで模倣する技術のことを指します。簡単に言うと、Chat-GPTは、たくさんの知識を持った「おしゃべりするコンピュータプログラム」です。

もちろん、今までもAIと会話するシステムは「チャットボット」として広く存在していました。チャットボットを利用した企業や団体のお問い合わせページを目にした方も多いでしょう。では、一般的なチャットボットとChatGPTの違いはどこにあるのか、これについてもChatGPT自身に説明してもらいましょう。

Chat-GPTはOpenAIの先進的なAI技術に基づくチャットボットで、大量のテキストを学習し、質問に対してその場で文章を生成します。多くの一般的なチャットボットが予め設定された応答を返すのに対し、Chat-GPTは多様な質問にも柔軟に対応。しかし、完璧ではなく誤情報を提供することも。その学習能力と生成能力により、自然な会話が可能です。

このように、予め用意された答えを言うだけのチャットボットに対し、ChatGPTは自ら考えて、自ら文章を作成して回答します。また、チャット中の会話情報に従って学習する、というのも大きな特徴でしょう。確かに完璧ではありませんが、格段に今までのチャットボットよりも人間に近い応答ができるようになった、と言うことができます。
さて本題。それではまず、まったく事前情報を与えない状態でChatGPTがどのような回答をするかやってみましょう。「上田市の松尾町について説明せよ」とChatGPTに尋ねたところ、松尾町についてデータベースに情報が無い、との回答でした。残念ながら、松尾町という呼称はChatGPTに取り上げてもらえるほど知名度が無い、と言うことですが、同時に、ChatGPTのデータベース構築はまだ松尾町レベルのローカルな情報収集まで及んでいない、とも言えます。ちなみに、海野町、原町でも、松尾町と同じ結果となっています(精度の低い情報ながら、天神町商店街だけデータベースに登録があるのが謎ですが)。
そこで、もう少し範囲を広げて、「上田駅前商店街特有の魅力」についてChatGPT に訊いてみました。

  1. 上田城の近さ:上田駅周辺からは上田城へのアクセスが良好で、歴史好きな観光客にとってはその近さが魅力となるでしょう。
  2. 地元産品の店舗:上田や長野県特有の産品を取り扱う店舗が多く、これらの商品は他の場所では手に入らない独特のものがあるかもしれません。
  3. 上田そば:長野県はそばの名産地として知られていますが、上田もその一部。商店街には地元の上田そばを提供する店舗が存在する可能性が高いです。
  4. 伝統的な建物:上田は歴史的背景を持つ都市であり、商店街にも伝統的な建物や街並みが保存されているかもしれません。
  5. 地域イベント:地域性を活かしたイベントやフェスティバルが商店街で開催されることがあり、これらは上田ならではのものである可能性が高いです。

「かもしれません」「可能性が高いです」と、甚だ自信が無げな様子ですが、それほど的外れでもない、もっと言うと非常に当たり障りのない回答が返って来ました。やはり上田駅近くの魅力と言えば上田城が筆頭に来るのでしょう。また、地元産品や蕎麦については言うに及ばず、まあそうだよねと納得できるところですが、4番目の「伝統的な建物」に関しては耳が痛いところです。城下町として歴史があるのだから当然、商店街に文化財や歴史を感じさせる街並みが残っていると観光客は考える、ということなのでしょう。5番目の地域イベントについては、「祭り」と置き換えれば腑に落ちます。祇園祭・上田わっしょい・真田まつり・七夕など、上田ならではの地域性が高い祭りの大切さを再認識させられました。
では次に、松尾町商店街の商店構成などの情報をChatGPTに与えて、「松尾町商店街の魅力」について書かせてみましょう。

松尾町商店街は、その絶好の位置と多彩な施設で多くの人々を魅了しています。まず、JR上田駅前という立地は、通勤、通学、旅行をはじめとする多くの人々の行き来を支えています。加えて、この商店街は上田市有数の観光地、上田城への主要な通り道としても機能しており、観光客も多く訪れます。
商店街内には、長野県を代表する銘菓「みすゞ飴」を提供する飯島商店の本店や、地域住民の健康を支える上田病院、進学を目指す生徒たちの学びの場としての信学会など、多様な店舗や施設が集結しています。これらの店舗と駅、そして上田城との間に位置することで、松尾町商店街は日常の生活から観光まで、さまざまなシーンでの訪問地としての魅力を放っています。
絶えず人々で賑わう駅、歴史と風格を持つ上田城、そして独自の文化や商品を提供する各店舗。これらが融合する松尾町商店街は、上田市の魅力を凝縮したような存在と言えるでしょう。

だいぶ、というよりもほぼ手直しするところが無い文章で、びっくりさせられます。穿った見方をすれば、与えた情報を繋ぎ合わせて、破綻なくまとめ上げただけだ、と言えますが。少なくとも文章作成能力としてはChatGPTがかなり高いレベルにあることが分かります。文章のプロット作成にはなりますので、体感ですが執筆時間を半分程度にできそうです。
反面、ChatGPTの限界も感じます。
「ChatGPTが持っている情報」「ChatGPTに与えた情報」を使って破綻ない文章にまとめる能力は感じさせるものの、それ以上の創造的な発想は決して出て来ません。この辺りはChatGPT自身もこう認めています。

ChatGPTやAI技術は情報処理や定義されたタスクの実行に優れていますが、人間の感性、直感、創造性などの複雑な能力にはまだ及びません。両者の特長を組み合わせることで、さらなる効率や革新を生み出すことが期待されます。

また、昨今のAI技術の進化に伴い、それらが生成する情報の信頼性や正確性が問題視されています。残念ながらAIが生成する情報の中には「フェイク」が相当数存在し、それを客観的に捉え、判別する能力が人間に問われています。しかし人間は、先人たちの長い歴史や自分の経験を通じて培った、価値観や判断基準をもって、行動に移す生き物です。それがAIと人間との決定的な違いですし、今後フェイクも含めた雑多な情報が飛び交っていく中であっても、情報の一つ一つに対して、それを信じるか、疑問を持つか、さらに深堀りするか、人間は精査できるはずです。
あくまで、ChatGPTを含めたAI技術はツールに過ぎず、人間の創造性を更に高めるためのお手伝いをしているだけの存在であることを忘れてはなりません。そしてその関係性は、恐らくこの先も変わらないでしょう。私たちは、この新たな相棒たちとどうスクラムを組んで行くか、それが問われ続けて行くのでしょう。

そう考えた時に、私たち松尾町商店街はどうあるべきなのか。

インターネット通販や大型量販店が勢力を増す中、松尾町を含む多くの商店街は厳しい時代を迎えています。逆に言えば、今ある店は全て、何らかの「選ばれる理由がある」から生き残っているとも言えます。それは独自の商品やサービスかも知れません。あるいはロケーションから来る便利さ、なのかも知れませんし、客と店との間の絆やコミュニケーション、なのかも知れません。これらの今ある「選ばれる理由」を更に高め、多くの人に伝える手段として、ChatGPTなどの新しい技術やトレンドは大きな手助けになるでしょう。急速に変わる現代だからこそ、商店街の伝統と新しい価値が結び付き、今までとは違った大きな発展への鍵となることを信じます。

…この記事の締めとしてChatGPTが作成した文章を要約・加筆してみました。確かに、なかなか良くできていますが、ChatGPTにいくら質問を投げかけても具体的な答えは返ってきません。伝統と新しい価値の結びつきとは何か、それは私たち自身が見つけて行く必要があるのです。
そんな中で、松尾町商店街に7店舗も新しい仲間が増えたのは大きな新しい価値となるでしょう。新しい仲間とどう結びつき、松尾町の未来をどう考えていくのか。私たちはそれに向かって行きたいと思っています。

背景の画像は、AIに描いてもらった未来の真田坂です。未来の真田坂は本当にこうなるのでしょうか。それは私たち次第でしょう。

坂道を上ると上田の城下が見えてくる

文責・増田芳希
指導・佐々木清司先生
写真・寺島遼

上田駅から松尾町「真田坂」を上って

松尾町は上田駅から市街地の真ん中に向かって上る坂、「真田坂」の両側に広がっています。松尾町の生い立ちについては「真田坂23号・松尾町の坂~坂道を登りながら、こう考えた~」で取り上げました。そこでは松尾町が1888年(明治22年)、長野・上田間の鉄道が開通し、上田駅の開業にむけて城下から千曲川に向かう段丘を削って造られた坂の街であることを紹介し、明治という力強い時代にスポットを当ててみました。今回は、拓かれた坂とその周囲に今も残る城下町の名残を訪ねてみようと思います。

松尾町交差点付近より上田駅を望む
上田駅前が河川敷であったことを物語る段丘

中央交差点へ向かいましょう

駅前の真田幸村公の像にご挨拶をした後、中央交差点向かって坂を上ってみましょう。路の両側には松尾町の商店街が広がっています。飲店や様々な品物を取り揃えたお店、美容室、学習塾、銀行などが立ち並ぶ商店街です。歩いてみると少々きつい坂道で、ご高齢の方には大変かと思われます。所々に置かれたベンチ、腰掛け用の石をご利用下さい。
坂の上がり具合は、中央交差点に近づいたところで駅を振り返ってみると分かります。新幹線のホームが同じ目線の高さにあります。ビルの3階から4楷近く上っています。上田城下があった頃は藩主屋敷(現上田高校)につながる藩士の家々があり、上田駅方面には段丘とその下に千曲川河川敷が広がっていました。真田昌幸が上田城を築城した頃は小牧山から遠く塩田平まで一望できたことでしょう。

松尾町交差点から日輪寺方面へ

では、少し下って松尾町交差点を左に曲がって日輪寺方面へ歩いてみましょう。
この路は藩主屋敷から日輪寺へ向かう平らな路でしたが、坂の造成に伴い松尾町の通りに向かって左右から少し下る地形になっています。ここで紹介したいのは町中の分水嶺です。
横町方向に歩いていくと日輪寺の手前の路に突き当たります。向かって右側は川方向に下ります。左側は太郎山の方角ですが上って行くようにも見えず、平坦に見えます。路沿いに側溝があります。覗いていてみると水が大門町方向に流れています。この付近に分水嶺があるのです。横町、大門町、海野町、鍛治町と城下町の暮らしに大切であった水の流れが見られます。そんな地形も上手く利用して城下町が造られたのですね。

天神商店街裏の川(桝網用水)
地面より下を流れ駅前が埋め立てられたことを物語る
松尾町交差点より藩主屋敷跡(上田高校)を臨む

鷹匠町からはまた下り坂に

この路と平行して鷹匠町の通りがあります。鷹匠町交差点から松尾町に戻って見ましょう。下って行きます。段丘を削り石垣を組んで家々が立ち並ぶ風景が左右に続きます。松尾町に近づくと更に傾斜はきつくなります。かなりの量の土を削ったことになります。駅に繋げる広い路を造るために、路とその周辺も含め膨大な量の土を掘り下げています。その土が駅とその周辺の造成に使われたのです。この鷹匠町の路沿いは、その昔『切り通し』と呼ばれていたそうです。『切り通し』と言うと、小高い丘や山を削った谷間の路をイメージするのですが、谷状ではなくても切り崩して造った路として呼ぶ事もあったそうです。と言う事は旧北国街道の南側に位置する現在の鷹匠町の通りは、松尾町が造られる前は河岸段丘沿いに小高い場所があり、それが分水嶺を形成する事になっていたのかも知れませんね。

中央1 丁目交差点より鷹匠町方面を望む
車坂

車坂

松尾町の坂に平行して西側に『車坂』があります上田城の三の丸につづく堀からの水が、段丘を駆け下りて千曲川に流れ込む川沿いの坂道です。急な坂路の『車坂』を下ってみると、昔の城下と千曲川河川の地形的繋がりがよく分かります。急なので、おもに足の丈夫な高校生や若い人たちが近道に利用しています。
『車坂』は城下と千曲川を渡る城外地域を繋ぐ交通路として重要な坂でした。また、藩主屋敷の警護、城下町警備のための番所が坂の二カ所におかれていました。川の谷は深く、坂路に掛けられた橋は敵に攻められたときに落として、敵の侵入を防ぐよう役立てることも出来ました。上田の城下町では、自然を利用した軍備、経済振興のための知恵が至る所にみられますね。ゆっくりと坂を上ってみると重い荷を載せた荷車のきしむ音が聞こえてきそうです。

駅周辺に戻り河岸段丘沿いに城下を眺めてみましょう

駅前に戻ります。先ほど申し上げたように、松尾町の坂を造ることにより大量の土砂が発生しました。その土砂は駅舎、線路の土台の造成、駅周辺のまちづくりに利用されました。
鉄道の敷設、駅の開業は上田の経済発展のために欠かせないものでした。殊に、蚕糸、蚕種で大きな発展を築いていく上田にとって最も重要な物流の拠点となりました。駅周辺には長く繫がった貨物列車が停車し荷の積み下ろしが出来るプラットホーム、倉庫、集まった商品を取引する問屋、商店のための土地が必要であり、駅周辺市街地の造成のために、切り崩された土が利用されました。天神商店街の通りは線路とほぼ同じ高さで平らですが、通りの裏側には一段下がった所があり、川が流れています。
切り崩して土を盛って造られた上田の玄関ですが城下は段丘の上にそのままあり、今もその姿を見る事が出来ます。上田城下の駐車場から駅に向かって歩くと、左手に段丘が見え、駅前を通り過ぎ遠く信濃国分寺近くまでつづいて行きます。その所々に城下町の面影が残っています。駅前を上って右側の、鷹匠町に抜ける『源兵衛坂』は、積み上げられた石垣の上に建つ土蔵とその下に沿ってつづく小道は城下の風情そのものです。そんな石垣、石積みは至る所に見られます。松尾町『真田坂』には店舗、住宅の中に石積みの段差のあるお宅さえあるのです。
そんな時の流れの中で、今も私たちは暮らしています。
ほんの3ページではありますが、街歩きを楽しんで頂けましたでしょうか。どうぞ、松尾町の坂『真田坂』を歩いてみて下さい。

源兵衛坂 上田情報ライブラリー裏
源兵衛坂 入り口

発行日:2024年3月31日
●ご意見、ご感想をお寄せ下さい。FAX 0268-21-1100
●真田坂web:https://sanadazaka.jp
●発行責任者:長野県上田市松尾町商店街振興組合
●理事長:藤岡幸司
●「真田坂」担当理事:飯島新一郎
●スタッフ:佐藤隆平/増田芳希/町田和幸/寺島遼